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宇宙論や歴史、文明やオカルトについて考察していきます。よろしくお願いします。

龍と雄牛の信仰は河の性格に由来?

出典:網上圖片
http://www.media.org.hk/tme_main/index.php/ctvprogram/dragon

古代文明といえば二大スターの神である龍神と雄牛の神が有名ですが、一般に西洋ではドラゴンは悪魔。逆に東洋では龍は神様として崇められています。

この違いはどこから来るのでしょうか?

元々は西洋でも龍は神様的なポジションだったようですが、いつの間にか悪魔として退治される側になっています。日本でも龍神信仰は全国で盛んですが古事記などでは素戔嗚に退治される八岐大蛇として登場するくらいですね。

反対に中国では古来より龍は皇帝の象徴、権威の象徴としてその存在は盤石です。この違いはどうしてなのか? 作家の高橋克彦さんは著書「竜の棺」においてその秘密を解き明かしていますが、それは実際に古代社会は竜の神様と雄牛の神様とが争った世界だったというもので、とても面白い考察だと思いました。あくまでフィクションですがその線もまたありありのありだなと思っています。

しかし私はそういうファンタジーな展開も願いつつ、もう少し現実的な解を思いつきました。本音ではないですが現実的にありそうな解です。

どうやら龍の信仰の方が世界的に見て古そうだというのは確実のようで、龍神は水に関係しています。そこから類推するに、いわゆる大河の辺に発生した古代文明はもれなく河の氾濫による脅威と恩恵に浴したというのが最初にあるのです。

各文明はそこから細かく分かれます。というのも河によって性格が異なるからです。

それではそれぞれの河の性格を見ていきましょう。

出典:イラクリオン考古学博物館 
http://isekineko.jp/greece-iraklionmuseum.html

苛烈な暴れ河だったチグリス・ユーフラテス河

メソポタミア文明の拠り所となったチグリス・ユーフラテス河。こちらの地域では龍を雄牛の神が退治するといったようなモチーフの神話がよく見られます。龍は水の神であり、大自然そのものです。メソポタミアで農業の恩恵を受けるにはしかしその大自然を克服する必要がありました。もちろん前提として荒ぶる河がもたらす肥沃な大地による恵みがあるのですが、それだけでは土地が痩せたり、塩害だったりですぐにだめになってしまうので運河を敷いて灌漑をしたり管理をする必要がありました。それが灌漑や土木、農業をする際に力になる雄牛の力が龍すなわち自然を克服する神話に繋がったのかもしれません。

このようにメソポタミアでは後に西洋の文化に影響を与える竜やドラゴンと雄牛の対立という構図が生まれたようです。

定期的な氾濫だったナイルの賜物

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チグリス・ユーフラテスとは違い、ナイル川はその性格が穏やかだったようです。氾濫と言ってますが実態はほとんどただの定期的な増水であり、ほとんど灌漑の必要もなく、貯水をするくらいのものだったようであり、これは工事の難易度的にメソポタミアとは比較にならないほど容易だったようです。

さて神話に注目するとエジプトでは龍というより蛇神であり決して雄牛の神との対立ではありません。

基本的には雄牛というより太陽神ラーの信仰があり、王権の省庁でもありましたが、並列してウアジェトという蛇の神が下エジプトの守護神にもなっていたようでどちらが起源が古いかは決められません。

いづれにしてもエジプトでは雄牛の神と龍神の対立はそれほどあるわけではなく、あったとしてもメソポタミア文明の影響による方が強そうです。

黄河

中国は典型的で代表的な龍が支配する文明ですが、黄河はどんな性格でしょうか?

黄河もチグリス・ユーフラテス河に比べて比較的穏やかで定期的な氾濫は周辺の土壌を豊かにし、その上あまり治水する必要もなく農業が出来たようです。その土地は黄土と呼ばれていますが、ほんの少しの手間で十分大河の大自然の恩恵を享受できたようです。

つまり自然は克服する対象ではなく崇める神となったのでしょう。そのため、歴代王朝の象徴であり、権力、権威の象徴になり、現在では中国人の最も崇敬する存在になったいます。

インダス川

インダス川も比較的穏やかでヒマラヤの雪解けの水で増水して、引いたところに農業をするこう言ってはなんですがイージーな環境だったようです。

そうなると神話的には龍が優勢になりそう。

ところがインダス文明では、文字が未だ解読されてないということもあってか、龍神の存在は確認されていません。むしろ牛をモチーフとした印章が発掘されているのでかなり初期の段階から雄牛は崇拝されていたのかもしれません。

ただ、確実に言えるのはインダス文明が衰退してアーリア人の侵入後は雄牛の神が優勢になっていきます。

その後再び現地人のヒンドゥー教徒が優勢を占めてからは龍神の存在感が増してきていますので、もともと龍神信仰もあったことはあったようです。

まとめ

主な河川文明の河の特徴と龍神雄牛の神との関係を見てきましたが、どうやら河が激しく氾濫し感慨など人の管理が必須の河の地方ほど龍はもともと神でしたが、やがて雄牛に退治されるべき悪魔となっていったようです。それとは反対に氾濫が穏やか河では雄牛と龍の関係はそれほど対立関係ではなく、あったとしてもメソポタミアの影響を引きずっているような気がします。黄河文明に至っては龍は現在に至るまで最高の存在になっています。

以上のように雄牛と龍の各地域での扱いは河の性格によると私は一応ここで結論づけてみました。 詳しい資料は次の回で紹介いたします。お楽しみに!   

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バアル神

バアル神像 引用:https://en.wikipedia.org/wiki/Baal

前回、龍について浅い考察をさせていただきましたが、今回はそれに関連があるんではないかと思いまして、バアル神について考察していきたいと思います。

バアル神とは?

バアル神は、古代オリエント地方、特にカナン地域で広く信仰された水や雷、天候を司る雄牛を象徴する神様であり、主神として崇められていました。現在のシリアとか東地中海のあのあたりですね。確認できる中では、この地域でBC1800年からBC1200年頃まで栄えたウガリット王国の古代文書「ウガリット神話」に出てきたのが最初だと言われています。

ウガリット王国はBC1200年ごろにオリエント地方を襲ったカタストロフに加え、それに乗じた海の民の侵入により滅ぼされたと言いますが、バアル神の信仰はその後も根強く、それはこの地域を超え西はギリシアなどのヨーロッパ、東はインド中国を越え、朝鮮半島や日本まで信仰の伝播が見て取れます。

ユダヤ人入植後

by CECIL B. DEMILLE
“The Ten Commandments”
引用:https://freerepublic.com/focus/f-religion/3866521/posts

ウガリット王国が滅んで後、奴隷状態に陥れられていたエジプトからモーセに率いられてユダヤ人がカナンに入植してきました。バアル神は当地で依然根強く信仰されていましたが、それに対してユダヤ人は対抗する神様をぶつけてきました。それが名前をみだりにその名を発してはいけないあの神様、ヤハウェです。

聖書では徹底的にバアル神が貶されています。他所から入植してきたユダヤ人にとっては生き残るための戦略としてその地の信仰から真っ向否定することが理にかなっていたのでしょうか?

事実当時は中東全体が気候変動した時期でした。今まで湿潤だったのが乾燥砂漠化していったのです。事実ウガリット王国が滅びたのもそれが大きな原因だったのかもしれません。

そういった訳で、水の神であり農業の神とも言える雄牛の神のバアル神がこの地で失墜するのも時間の問題だったかもしれません。また牧畜などを生業とする遊牧民であるユダヤ人にとっては乾燥した環境の方が都合が良く、躍進するチャンスだったのでしょう。

ユダヤ人は積極的にヤハウェに仮託してバアル神を貶めました。偉大なるバアルという意味のバアルゼルブを少し変えバアルゼブブ(蠅のバアルの意味)と言ってみたり、徹底的にバアル神を貶め、悪魔扱いにしました。

しかしそれはこの地で未だに強力にバアル神が信仰されていたからということもありました。むしろ、ユダヤ人自身がバアル神を積極的に信仰していたこともわかっています。建国された当初、ユダヤ王国ではダビデやソロモン王などはバアル神を普通に信仰していました。

まだユダヤ王国が万全の時代は良かったのですが、ユダヤ人は黄金期を過ぎると試練が待ち構えていました。ユダヤ王国は滅ぼされ、北の10支族と南の2支族に分かれアッシリアや新バビロニア王国に立て続けに彼の地を追われ奴隷として連行されるという捕囚が怒っています。

それ故、こうした不幸の中でユダヤ民族を一つにまとめるためにも当時まだ強力に信仰されていたバアル神打倒が必要だったようです。

先にバアル神は農耕に関連した雄牛の神と言いました。聖書にもモーセが神から十戒をシナイ山で授かり、下山した時に民衆は雄牛を象ったバアル神像を掲げ祀っている有名なシーンがありました。ヤハウェは罰を与えますが、ヤハウェ自身も自身を雄牛の神と称しています。

これはどういうことなんでしょうか?

聖書における雄牛と龍

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結局、ヤハウェ自身も自身を雄牛の神になぞらえています。そして蛇やドラゴンは悪魔の使いだったり化身扱いです。バアル神も雄牛の神だったはずです。ただ、バアル神の性格として龍神によく見られる水の神だったりの要素もあり、確実にバアル神は龍神も兼ねているようです。

では雄牛の神がヤハウェでバアルが龍神かといえばそうでもありません。確かにバアルは聖書的には龍神や雄牛どころか蠅の王などと揶揄されていますが、一般的には雄牛の神として信仰され農耕や軍事を司る神とされていました。これは遠く東に伝播し、日本では牛頭天王こと素戔嗚尊として現れます。

つまりヤハウェは、或いはユダヤ人は、バアル神は偽物で自分たちの神様こそが本当の雄牛の神なのだと言っているよなものなのです。

西洋と東洋における竜と雄牛の戦い

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高橋克彦氏の小説「竜の棺」では、世界の神話における竜と雄牛の神の勢力争いの秘密が明かされています。重厚で説得力がありとても面白かったと記憶しています。高橋氏の視点は大変興味深いところですが私もそこを私なりに考えたいと思います。

 何でオリエントを含む西洋では雄牛が優勢で中国や日本では雄牛よりどちらかというと龍神信仰が盛んなのでしょうか?

もちろん日本ではご存知の通り民間伝承では竜神の登場回数こそ多いものの実は古事記や日本書紀にも八岐大蛇として成敗される側しか出てきません。八岐大蛇は文字通り牛頭天王こと素戔嗚命に成敗される訳で、そう見ると雄牛の方が優勢と言えるかもしれませんが実感として竜神の方がメジャーな感じがしますし、中国では間違いなく龍神でしょう。皇帝のシンボルでもありますし。

東西の竜の扱いの違いは実は文明の発生した河の環境にあったのです。次回はその辺について考察していきたいと思います。

龍について

久々の投稿です。誰も見てないかな?笑

と言いますのも、今までなかなか頭の整理がつかないでいたからです。

しかし今ではみなさんの研究が進み、私の龍に対する視界も段々とクリアーになってきました。今日はそれらを紹介できたらと思います。よろしくお願いします。

龍は東アジアでは古来より神の遣い、あるいは神様そのものとして崇められてきました。特に中国では王権の象徴としてのイメージが強いです。

日本における竜の起源

月岡芳年「素戔嗚尊(すさのおのみこと)出雲の簸川上(ひのかわかみ)に八頭蛇(やまだのおろち)を退治し給う図」(県立古代出雲歴史博物館蔵)*引用:https://tokka.biz/pages/totsuka.html

翻って我が国日本ではどうでしょう?

日本では古来龍神信仰があり、龍は神様として崇められてきました。これは大きな岩を崇める磐座信仰に通じているようです。

しかし大和朝廷が大部分の日本を征服するに至り、次第に公からは龍神信仰は消え、民間での信仰に形を変えたようです。

事実、古事記をはじめとする日本神話には竜が登場しません。例外的に素戔嗚尊(スサノオノミコト)が八岐大蛇を退治する場面がありますが、あの八岐大蛇がおそらく出てくる唯一の竜であり、しかもそれは神様というより退治される怪物扱いです。神様というよりはいわば鬼とかもののけの類になってしまっています。

なんだかちょっと扱いが全然お隣の中国と違うじゃ無いかって感じがします。西洋もそういった意味ではドラゴンは悪魔の遣い的な感じになってますもんね。

近年の日本における龍の扱い

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漫画界の巨匠、鳥山明先生がご逝去されました。日本だけでなく、世界の宝が失われたといっても良いでしょう。心からご冥福をお祈りいたします。

鳥山先生の代表作といえばドラゴンボールは外せませんが、その中の神龍(シェンロン)は典型的な龍ですね。考えてみれば同作は中国の西遊記をモチーフにしているので当たり前といえば当たり前ですが。

ドラゴンボールを除いても龍やドラゴンはさまざまな作品のモチーフに使われており、鬼と共にファンタジー界のスーパースターといっても良いでしょう。

龍を追っていくと古代日本がわかる?

さて現代ではすっかりお馴染みになった龍の存在ですが、現実にはもちろん存在する動物ではありません。しかし古代には確実にリアルにその存在が信仰されていたようです。

具体的には古代の神話時代に主に出雲系が日本を支配していて、後から天孫族系、いわゆる天照系の神々が日本の国を譲り受けるということが起きました。これは神話の話ですが、少なくとも何らかの実際の史実が反映されているのは疑いないでしょう。

素戔嗚尊(スサノオノミコト)も天照の大神の弟ということになっていますが、元々は別で出雲系ということになっています。しかし別名牛頭天皇ですからいわゆる竜とは対立する雄牛の信仰の系統になっています。

ただ、出雲といえば国津神系であり、天照系より古く、龍神信仰なのでその辺は後に改変された感じですかねえ? いずれにしても出雲大社や諏訪大社などの出雲系の神社は伊勢神宮などの天照系の神社に比べて目に見えてしめ縄が太いです。これは蛇の交尾を表しているとも言われ、出雲系ではよりそれらを強調しているということですね。

諏訪大社 http://www.suwa-tourism.jp/archives/000061.php

出雲大社
https://tokyonightowl.com/wp-content/uploads/2020/05/Izumo-Taisha.jpg

上は諏訪大社。下は出雲大社。ご覧のようにしめ縄は際立って極太である。

一方伊勢神宮ではこれらのような極太のしめ縄は見られない。伊勢神宮は大和朝廷の代表的な言わずと知れた神社の総本山であり、これらを見ても龍神信仰は大和朝廷により隅に追いやられたということがわかるのではないか?

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皆様意見がありましたらご教授くださいまし><

次回からは龍、そして鬼についてもう少し掘り下げていく予定でございます。よろしくお願いいたします!


明けましておめでとうございます

皆さんいかがお過ごしでしょうか? 私は訳あって久しぶりに東京生活を始めました。ただ、今冬の寒波は到底私の住まう環境に耐えられるものではなく、絶えず風邪をこじらせる毎日を送っております。身体が芯まで冷えてます。洗い髪どころか骨の髄まで冷え切った感じです。今ばかりは神田川よりガンジス川に浸かった方が耐えられるだろうと確信しております。

皆さんのご多幸を心より願っております。その前に自分をなんとかしろ! 心の叫びの横槍が飛んで参りましたが、今年は色々ペースアップしていきます。

よろしくお願いいたします。

京都に行ってきました

写真は伏見稲荷

京都に行ってきました。とは言っても去年の11月です。最近はオミクロン株が増えてきてまた中々外に出歩けなくなりましたが、この11月は流石の京都もスカスカというかとても観光がしやすかったです。と言ってももう高校生の時以来行ってないのでコロナ前がどんな感じかは噂でしか知らないのですが、おそらくコロナが無ければ国内外からの観光客で押し合いへし合いでとても観光どころではなかったでしょう。